【ネタバレ注意】クレイジージャーニーの感想【1月31日放送】

   



オープニングトーク

まずは個人的にいつも、「雑談はいいから早く本編見せてくれ!」と思ってしまうオープニングトーク。
「行きたいけど行ったことがない所」の話。
松本は、四国でうどんを食べてみたいし、阿波踊りとか踊ってみたいらしい。

私もインドア派で、日本国内でさえ行ったことがない所ばかりだ。
元気な内にもうちょっと色々なところを見て回りたいなと、こういう話題になるとふと思うけれど、結局どこにも行かないままだ。
今度こそもう少しアクティブになりたいな。

奇怪遺産特別編~今しか見られない軍艦島~

今日のクレイジージャーニーはおなじみのフォトグラファー佐藤健寿さん。

2015年に19番目の世界遺産となった軍艦島は、現在建物の老朽化が進んでいるため、建物が残っているうちに写真に収めたいとのこと。

今回は長崎市役所のバックアップで立ち入り禁止のところにも入れてもらえるらしい。
いつもの佐藤さんの寝起きの悪さを撮影したあと、長崎市内から1時間の軍艦島行きの船が出る野々串港へ。
道中、鹿児島県の吐噶喇列島の奇祭・ボゼの話を聞く。
写真で見る限り、日本の祭りとは思えないような変わった祭りだ。

佐藤さん曰く、吐噶喇という地名について「吐噶喇の人もなんで吐噶喇なのか分からない」とのこと。

でもWikipediaを見ると、

地名の由来については諸説あるものの、「沖の海原」を指す「トハラ」から転訛したという説が有力。

と書いてあった。

軍艦島には、波が穏やかじゃないと船が接岸できないらしい。
今回は元々軍艦島に暮らしていた72歳の石川東さんが同行。
なんと石川さんは、軍艦島で生まれて18歳まで軍艦島で暮らしていたらしい。

港から6キロの沖合にある軍艦島までは、所要時間15分くらいと近い。
マンセル要塞に比べたら全然楽だと言う佐藤さん。

軍艦島の正式名は端島と言い、形状が戦艦に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになった。
炭鉱の島として1810年~1974年の閉山まで日本の高度経済成長を支え、最盛期の1950年代には東京ドーム1.3倍の島内に5300人が暮らすなど、人口密度は世界一だったらしい。
そんな島が、島ごと廃墟と化し、世界遺産になっている。

観光客とかが来るところとは逆の通常は立ち入り禁止の停泊所から入るクレイジージャーニー一行。
今回は長崎市の協力で、倒壊などで失われる可能性がある建物も撮れるらしい。

軍艦島には7階建ての小中学校もあり、生徒数は多かった時で1200~1300人もいたとのこと。
石川さんはこの学校の卒業生。

当時使われていた机椅子そろばんなどの備品がそのまま残されている。
そんな廃墟を見に、軍艦島には廃墟マニアの人が海外からも来る。
佐藤さん曰く、チェルノブイリのプリピャチの廃墟より規模が大きいとのこと。
石川さんの話だと、軍艦島の近くにある中ノ島では、亡くなった人の火葬が行われていたらしい。

次は炭鉱の跡地へ。
軍艦島は台風の被害を受けやすく、護岸の修復補強は重要だったらしい。

昭和32年には水道管が引かれたが、それまでは船で水を運んでくる必要があった。
海が時化ると船が来れないためしょっちゅう水不足に。
そういう時には風呂も塩水。
プールは塩水プール。

軍艦島の地下には石炭採掘の坑道があり、運び出された石炭はベルトコンベアで運ばれ、着岸している船で運ばれて行った。
作業員の風呂の跡もあった。
作業を終えた炭鉱員は真っ黒なので、まず片方の湯船で汚れを落としてから、もう一つの湯船で疲れた身体を癒したらしい。

次に居住エリアへ。
1916年建造の30号棟は日本で最初のRC(鉄筋コンクリート)構造の建物。
日本最古の鉄筋コンクリートアパートということだ。
現在は倒壊の危機に瀕しているらしい。

周辺には端島銀座と呼ばれるメインストリートがあって、多くの店が並んでにぎわっていたらしい。
警察も牢屋も端島病院もあったのだとか。

病院の建物は緑色に塗られている。
佐藤さんによると、あまり緑がなかったから和むように緑にしたという説があるらしい。
石川さんの話だと、医者は10人くらい、看護師は20~30人くらいいたみたい。
作業員の炭が肺にたまるので、肺を中心に診てたらしい。

病院の近くにある65号棟へ。
65号棟は10階建て全317室の軍艦島最大のマンション。
後期に作られたため保存状態が良い。
形状はコの字型になっていて、探検しきれないくらいでかい。
子供用の遊具もある。

本当ににたくさんの人が軍艦島人暮らしていたことが分かる場所だ。
軍艦島って、もっと労働者と軍事関連施設ばかりの島だと思っていた。

廃墟となった住居には、当時の物品がそのまま残されており、「夫婦の愛を高めるために、新しい性生活のためのテクニック」とかいう読み物やど根性ガエルの漫画もある。
九州スポーツの新聞の紙面には、ブッチャーとデストロイヤーの戦いの記事が記載されている。

6畳二間に家族4,5人が暮らし、トイレは共同で、10階建てでもエレベーターはなかったそうだ。
屋上には幼稚園があり、多い時には200人以上の園児が通っていたマンモス幼稚園だったらしい。

海が荒れないうちに軍艦島を後にする。

第二の軍艦島・池島へ

軍艦島を訪れた数日後、今度は神浦港から軍艦島の北31キロに位置する池島へ。
この島にも炭鉱跡があり、第二の軍艦島とも呼ばれているらしい。

最盛期には8000人が暮らしていたが、2001年閉山し、今現在は150人が生活している。
軍艦島の4倍ほどの大きさ。
入れる炭鉱もあるらしい。
池島炭鉱体験施設の方々に協力をしてもらって見学。

池島の炭鉱には、トロッコに乗って入る。
トロッコなんてドラクエとかFFとかインディージョーンズでしか見たことない。
まるでUSJとかディズニーのアトラクションみたいだ。

工具置き場に到着。
削岩機で穴をあけてダイナマイトを仕掛け、岩盤を破壊するそうだ。
1回の爆破で70発が使われることもあるんだとか。

坑内はメタンガスが発生するため火気厳禁。
蛍光灯も防爆型。
でもヘッドライトはなぜかOKらしい(笑

そして静電気が発生すると危ないため、救護隊の制服は木綿製。
でも作業員は普通の服らしい(笑

池島の住宅街へ。
現在も150人が暮らしている。
無数の住居が残っているが、たった2棟にほとんどが移り住んで生活している。
コンビニやスーパーはないので、定期的に本土からくる移動販売車がライフライン。

消防団や若い人がおらず、高齢化が進んでいる。
56歳の尾崎さんでも若手なんだとか。

池島も軍艦島と同じような運命をたどるのだろうか。

スタジオトーク

軍艦島には映画館とかパチンコ屋とかビリヤード場もあったらしい。
炭鉱作業員は高給で島の経済が潤っていたからか、映画などは長崎市よりも封切が早かったとのこと。

島の土地は限られているため、デートなどは屋上で、農園も屋上。
まるでジブリ作品みたいな世界だ。
遊郭もあったらしい。

他にも変わった島が日本にはいくつかあり、瀬戸内海にある広島県の契島は「もう一つの軍艦島」「生きている軍艦島」と呼ばれている。
東京ドーム2個分の面積で、日本の40%以上の亜鉛の精錬が行われているらしい。
30人が暮らしていて、作業員と家族のみ。
島全体が工場で、そういう島は日本ではここだけと言われている。

海外の廃墟にも言及する佐藤さん。
世界最高の工場廃墟であるドイツのフェルクリンゲン製鉄所では、東京ドーム1.2個分の敷地に工場が並んでいる。
1873年~1986年まで運用されていて、14000人ほどが工場と周辺施設で働いていた。
1994年に世界遺産に登録。

キプロスのヴァローシャは街自体が廃墟になっている。
セレブや観光客が集まるリゾート地だったが、今は廃墟になってしまっている。
紛争が勃発して住民が逃げていき、ゴーストタウンと化してしまったらしい。

池島について。
番組で出てきたトロッコには、観光客として乗ることはできるみたい。
かあちゃんの店という食堂があり、かつ丼が名物。
見た目は写真で見るとなぜか黒いけど、美味しかったらしい。

池島の学校は昔は1500人もの生徒がいたが、今では2名の兄弟だけ。
行事は長崎市内の学校と合同でやっているとのこと。

毎週クレイジージャーニーには好奇心をくすぐられるし、とても勉強になる。
次週は、オカルト研究家がフィリピンの奇祭に潜入するらしいので、また楽しみだ。